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アオバライド

社畜からニートに華麗なる転身を遂げたもうすぐアラサーの戦い

子どもへ囲碁を教える難しさ、正解のなさ

週一更新のはずがちょっと伸びちゃいました(笑)
11月からブログをはじめ、月間で482PV頂きました。ありがとうございます。
今月もゆるゆると頑張っていきたいと思います!!卒論やばいよお!!

 

さて、今回は囲碁について。
きちんとまとめたくて、筆がなかなか進みませんでした。
今年のお正月に出会ってから個人的に囲碁指導をしている小学生の子がいるんですが、子供への指導って難しいよね、って話をしたいと思います。

その子をSくんとここでは呼びましょう。Sくんは小学3年生で、最初は引っ込み思案で全然お話してくれませんでしたが、だんだんと懐いてくれて、今ではもう弟みたいな存在です。超かわいい。
ただ、やはり子供相手では自分の思うようにいかない部分があります。気分にムラがあったり、アタリがいまだによくわからなかったり。ちょっと発達に問題を抱えているようなのですが、年齢相応の指導なんてわかりませんし、一対一で向かい合って思うことだけ触れます。

指導する上で大切にしていること、難しいと感じていること、の二点に分けて書いていきますね。

指導する上で大事にしていること

別のアルバイトでは、小学校での囲碁教室のお手伝いをしたことがありましたが、そちらは元々囲碁が打てる子にお行儀の指導をするのがメイン。もちろん子ども同士対局させて、たまに詰碁を出して、囲碁自体を楽しんでもらうことも主眼に置いていました。

ですがSくんの場合は、お行儀だけでなく情操教育が親御さんの目的であったこと、そして囲碁初心者だったので自分がこの子の囲碁人生を決めてしまうという、二種類のプレッシャーがありました。
とりあえず、第一回の指導の前に、獲得目標を以下に定めました。

囲碁のゲーム性を楽しんでもらうこと
・勝ち負けを経て、嬉しさ、悔しさを感じてもらうこと
・自分が成長する喜びを知ってもらうこと
・対局マナー(石で遊ばない、挨拶する、など)をきちんと守り落ち着きを習得してもらうこと
・技術を伝え、囲碁人生の基盤にしてもらうこと

全体を通して、本人が希望すればの話ですが、今後ずっと囲碁を続ける上での基盤になるものを教えたいなぁと考えていました。
とある方が「囲碁は人生の大切な局面で自分を救ってくれる」とおっしゃっていたのですが、まさに私も身を持って実感したことのある言葉です。後輩たちへもそうですが、それを感じて欲しくて指導や初心者入門をしている部分があります。

 

難しいと感じていること

まずこちらに目を通してみてください。

Fさんは手渡された紙袋を前に「さて、どうしたものか」と思い悩んだ。これで服をつくれと言われても、どうやって作ればいいのかまるでわからない。しばらく思い悩んだのちに、Fさんは「自分が正解を探してしていた」ことに気づいた。隣にいた自分の息子を見ると、息子も同じように紙袋を前に固まっていた。「正解を求めて、そして正解が見つからないからこそ身動きがとれなくなってしまっている」息子の姿を目の当たりにして、ああ、私は何てことをしてしまったのだろうかとFさんは愕然とした。

引用元:人生とは、自分を楽しませることである。ー 「正解を答える」生き方ではなく「正解を増やす」生き方をしよう。 - いばや通信 http://ibaya.hatenablog.com/entry/2014/11/03/095951

 

これを読んで衝撃を受けました。以前、Sくんを子供囲碁大会に連れて行ったときの反応が、まさに同じだったんです。対局中、全然手が進まなくて、遠くから見守っている私の方を見て、「どこに打ったらいいの?」という顔。
何て事をしてしまったんだ、と思いました。
囲碁とは自分の好きに打てばいいものなのに、マンツーマンであるばかりに、私の顔色を窺わせる指導をしてしまった。

囲碁は、突き詰めれば正解のあるゲームです。でも私のようなアマチュアは正解からほど遠い手ばかり打ってしまうし、100%の正解しか打たないなんてことはできません。今じぶんの頭で考え得る限り考えて、絞り出した答えを盤上に打ち下ろすしかないんです。客観的に間違っていようがなかろうが、打ってる間は関係ありません。

でもSくんには、私が100%だと言う答えしか打っちゃいけないと思いこませてしまった。局後に検討する形式だと、対局中会話がなくてSくんがダレてしまうので、「次の一手はどこかな?」と三択で問題を出すようにしていたのが裏目に出た形です。

囲碁には正解はあるし、石を取る、アタリにつなぐなど、誰が見ても意見が一致する部分の技術は教えてあげたい。詰碁プリントで形を覚えてもらって、実戦でわかるようになってほしい。強くなってほしい。
だけど囲碁には、どのゲームよりも自由な選択肢がある。正解不正解だけで測れない無限の可能性がある。それをSくんには感じて欲しいんです。
「好きに打ってもいいよ」って、口で言うだけじゃ駄目なんですよね。本当にバランスが難しい。

 

正解を求めることを強制しているのではないか?
これが、一番大きな反省です。

 

あと、こちらの記事で「強くなってほしい」っていうのも自分のエゴかもしれないと感じました。(ネタバレになるのでリンクへ飛んで読んでみてください)

はじめて逆上がりが出来た女の子:成功後の一言が指導者を撃ち抜く - なわとび1本で何でもできるのだ http://shoichikasuo.hatenablog.com/entry/2014/11/22/121010

 

悪い手の指摘は最小限にして、褒めながら、楽しく打った方がいいのかとも。先方のご家庭の希望は情操教育なので、別に強さを求めなくても…という部分はあれど、大会に出るのは同じ年の子と打つ滅多にないチャンスだし、Sくん自身大会の度に成長している気がするから、やっぱり大会に出して勝てるように強くなってほしいんだよなぁ。

 

「正解はない」っていう概念は、のちのち成長した彼を救う考え方にもなると思うのです。関西を発つまであと3,4ヶ月、5回くらい会えればいい方かな。その間に、「自分が精一杯考えたらそれが正解だよ」って、伝えられるといいなと思います。